書籍 「人生と愛」 ― 2014年05月10日 11時11分11秒
エーリッヒ・フロムの書籍を読みました。今回、読んだのは、「人生と愛」というタイトルの書籍です。この書籍はラジオ放送のテキストとして作成された内容と、実際のラジオ放送での対談の内容を収めたものです。日本語での初版は1986年です。
書籍の内容は、人間と社会との関係や宗教、政治へと話が広がっていきます。そして、資本家と労働者、独裁者と市民との関係など解説が続きます。ラジオ放送されていたのが1970年ごろというのもあり、独裁者の話が後半を占めています。そして、最後に「人間とは何者か」という章で内容がまとめられています。
フロムは、人間は自分の理性に導かれることによって、肉体的存在として、さらに精神的存在として認識でき、最善を尽くすことができる。しかし、多くの人間は、所有欲と虚栄心により、盲目となり、私生活では理性的に行動できないときがある。
なお悪いことは、国民として行動する場合、理性による方向付けが少なくなり、政治家やマスメディアなどの人たちによって、陽動されてしまう。過去のことや理性を国民はあまりにたやすく忘れてしまうからである。彼らの助言に従えば、国も世界も破滅してしまう。彼らの行動を決めるのは、非理性的な熱情からであり、自ら解放することができず、理性によって導かれるようになりえなかったからである。
人間には、根底に平等と公正という感覚が与えられてあり、敵の集団によって平等と公正の原理が傷つけられることに敏感である。人間の良心の敏感さがもっとも明らかに表れるのが平等と公正がそこなわれた時である。この作用は、自分たちに責任がない限り、ごく些細なことであっても現れる。この情熱の強さは、生存本能よりも激しいものとなり、人間は、憎悪や名誉欲、愛や忠誠心のためには、進んで命を投げ出すことになる。
人間の理性は、非合理的な情熱に支配されてはならない。知性は悪い目的に利用されても知性であるが、理性は自分たちの目的に役立てるために恣意的に見るのではなく、あるがままを理解する。自分の経験を批判的に分析し、自らの発展に益するものと、防げるものとを識別し、幸福な状態を達することを目的に、精神的な力と肉体的な力を、できるだけ調和させながら発揮することを努める。幸福の反対は無気力である。
一度も苦しんだことのない人はいない。そして、同情は人間に対する愛と分かちがたく結びついている。同情の反対は無関心であり、無関心は、分裂症的な病的状態として表現できる。愛のないところに、同情はありえない。そして、個人的な愛は依存的な結びつきになる場合がある。一人の人間しか愛せない者は、だれも愛せないのである。
日本の自衛権の拡大や、南シナ海で生じていることと書籍の内容が重なっています。やはり今の時代にフロムの書籍を読むのはいいように感じました。書籍では、いかに無関心と無気力が悪いものなのかを感じることができます。
「人生と愛」、エーリッヒ・フロム、佐野哲郎、紀伊國屋書店