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書籍 「大政奉還 遠い崖 アーネスト・サトウ日記抄 6」2008年12月29日 08時08分01秒

 「遠い崖 アーネスト・サトウ日記抄」の6巻です。この書籍は時間が取れるときに読むようにしています。

 書籍の内容は、慶喜の大政奉還から話がはじまります。そのころ、サトウらは大阪で「ええじゃないか」と踊りくるう人々に遭遇します。サトウは、この祭りに「終わりの始まり」が仕組まれたのを予感しています。この祭り騒ぎの時、王政復古のクーデターが実行されます。西郷の指揮する薩摩、土佐、芸州、尾張、越前の五藩の兵が皇居を包囲し、宮中との外部の連絡を遮断した上で、王政復古の大号令が発せられ、朝廷首脳の更迭と職制の変更が行われます。翌日、慶喜に官位の辞退と領地の奉納を命ずることが決定されます。

 その後、江戸では薩摩側が江戸を放火します。とくに「二の丸」に放火をして、天章院を奪い去ろうと企てます。反対に幕府側に薩摩屋敷を焼き払われる事件が起きていました。大阪にいた外国の公使や、サトウも、江戸の情報は詳細に得ていました。これらの事件が、薩摩による挑発であることを認識していました。

 慶喜は、京都から大阪城へ、そして、海路で江戸に帰還しています。慶喜の大阪脱出にアメリカの軍艦を使っており、外交公使の中でアメリカのファルケンバーグだけが慶喜の脱出の一部始終を知っていたことになります。イギリスや他国には、情報が届いていませんでした。しかし、一貫して慶喜側に付いていたフランスの公使ロッシュが、このことを知っていたのかは現在になっても不明のようです。この逃走に対して、イギリス公使のパークスは、「勇気というものが感じられない」、「やり方は感心できない」と本国に報告を送っています。ロッシュは、大将が城に戻り、体制を整えることは普通のことであると、大きく考えていませんでした。

 その後、幕府から御門に政権が移ったことから、庶民は攘夷が進んでいくものと考えていました。そのため、外国人を襲撃する事件が、神戸事件、堺事件、イギリス公使のパークスらを襲撃した事件など、続けて起こります。それに対して、新政府の対応は素早く、実行者をすぐに死刑します。そのため、外国の公使らは、慶喜よりも御門のほうが実行力があり、好印象を持つようになります。そして、新たな新政府の代表である御門の使者である東久世から、古式に則った漢文で書かれた極めて簡潔な国書が各国の公使へ届けられます。使者より、御門が日本を統治するのは自然な結果とし、国民は御門に従うとの話があったようです。

 このころ、サトウは2人の重要な人物である大久保と岩倉に会っています。サトウのもとに大久保が訪ねてきます。そこで、江戸の討伐軍の規模が拡大して箱根を越えていることや、開戦・非戦の意見が分かれていることなどの説明を受けています。そして、大久保はイギリスの内閣、議会、政党、議員の選出などをサトウに詳しく聞いています。さらに、御門との謁見の前に、岩倉に会うことになります。岩倉は、御門と公家がこれまで外国人を嫌悪し、大君政府が開国を支持しているにもかかわらず、攘夷を唱えていたことは事実であるが、いまは考えが一変したと述べています。その後、実際に御門に謁見をした内容に関しては、外国公使らは多くは語っていないようです。御門本人に対しては、期待を裏切られたような感じでした。しかし、岩倉に関しては、外国公使はよい印象を持ったようです。

 サトウの日記は、以前、幕府側の使者と会う機会が多く、内容も幕府側からの意見が多くなっていましたが、この頃の日記では、新政府の使者からの話が多くなっています。とくに西郷、大久保や薩摩、長州、土佐藩の使者と会う機会が多くなています。この巻ぐらい読み進めると登場人物もよくわかり、かなり読み進めるのが楽になってきました。まだ、全巻の半分も読み終えていないため、あと一年程度かけて読んでいこうと思っています。

 「大政奉還  遠い崖 アーネスト・サトウ日記抄 6」、萩原 延壽、朝日文庫

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