書籍 「社会契約論」 (4) ― 2008年11月30日 08時40分25秒
各章ごとに内容が詳細に書かれてあり、その章の内容がタイトルからわかるようになっています。各章ごとに読んで、気になった文章をまとめました。
社会契約論 第4編
素朴な国家の理想として、多数の人が結びついて一体となっていると感じる限り、そこには共同体を維持し、市民全体の幸福を高めようとするただ一つの意志しかない。その場合、国家のあらゆる原動力は活気に満ちて単純であり、その原則は明快で光り輝いているものである。利害が混乱することも、矛盾することもない。しかし、社会の絆が緩み始め、国家の力が弱くなると個人的な利益が強く感じられ始める。もはや投票も全員一致で行われることはなくなり、対立や論争が起こるようになる。さらに市民は意見を言わなくなり、個人的な利益のみを追求するようになる。
宗教は、社会的な精神に反するものであり、市民から国家を引き離す。宗教によるが、さらに地上の現実からも引き離し、天国なる空想な世界に、主権者である人々をかりたててしまう。キリスト教など宗教の国においては、善き政治体制というものが、そもそも不可能である。服従すべき対象も増えることになり、主権者が聖職者などに変わってしまう恐れもある。もっと厄介なことは、市民は宗教の改革をする権利はなく、宗教を維持する役職になってしまい、聖職者の権限が高くなる。
公的な国家を形成する市民にとって相応しい宗教は、人類全体を対象にする「人間の宗教」である。理想とする宗教として、公民宗教は社会の連帯のための絆として機能し、共和国の維持と繁栄に強い関心をいだくことができ、市民に他者との関係を構築するための手掛かりを与える。人々は、共同体の中で自分の義務を守り、他者を配慮することを学ぶことができる。
この四編で、社会契約論の全体像を読むことができました。やはり内容は幅広く、宗教的な話まで発展しています。この社会契約が実際に締結されたのは、フランス社会で革命を経験した市民です。腐敗している社会から、人民による人民のための国家を形成するために利用されました。
当然、自由民権運動や戦後の日本国憲法など、日本も大きな影響を受けています。しかし、ルソーの考えた市民の主権とは違ったものになっており、また市民も個人の利益を追求するようになっています。すでに国家として滅亡の危機に瀕していることになってしまいます。
「社会契約論」、ジャン=ジャック・ルソー、(中山 元)、光文社古典新訳文庫